コロナ禍にあっての祭り
2020年 09月 12日
未曽有の大ピンチ!新型コロナウイルスの世界規模の感染。
先日、近所の秋祭りの日に「幟」が上がっていた。芸能はないが、神事は行われたのであろうか。
この感染状況では人々が集まることは難しいのは理解できる。しかし、今後祭りを行うことが「悪」のような雰囲気にならなければいいなと思う。「何で祭りをやるんだ!」「踊りなんか踊ってる場合か?」みたいな流れにならないでほしい。
歴史的にも、疫病が流行したために祭りを始めたという起源を語るところが多い。夏の祇園祭はその最たるもの。 この新型肺炎の感染は大変なものだが、祭りの根源を忘れたくないものだ。
流行の兆しが見られたころは「中国のことでしょ」「サーズほどでもないか?」くらいに考えていた。しかし、令和2年は大変な年になった。学校は休校になる、世の中マスク着用は当たり前、不要不急の外出をひかえる、緊急事態宣言が出される、日々の感染者数の報道…。
そして「祭り」が「不要不急」にならざるを得ないものになってしまった。伝統的な祭りはことごとく「中止」である。人々が集う祭りの場はまさしく「密」になる。やむを得ない。感染拡大を防止するためには、我慢の時だ。
しかし!祭りは「祈り」の場だ。
by hamadasensho
| 2020-09-12 19:07
| 雑感